音楽だけだった私が今の仕事を選んだわけ。
はろー、れいです!
こちらの自己紹介記事にも書きましたが、実は私は小4〜短大2までの11年間、
ず〜〜〜っと音楽人生を送っていました。
しかし現在の仕事はなんと接客業。
全く音楽とは関係のない職を選んだんです。
なぜ11年間やってきた音楽をやめ、現在の職についたのか。
学生時代から振り返りを含め書いていこうかなと思います!
音楽と共にあった学生時代
私の音楽人生のスタートは、小学3年生の時でした。
きっかけは友達がやっていた合唱クラブに参加したこと。
今考えると、母が小さい頃ピアノを習っていておじいちゃん家にはピアノがあったし、お気に入りの曲を集めた父のCDを聞き漁っていたので、幼い頃から自然と音楽には触れてきたんだなあ...
(小学生でゴスペラーズとか聞いてました😶)
そのおかげ(?)で母曰く、歌番組が始まるとTVに食らいつきお尻を振りながら熱唱していたくらい、歌や音楽が大好きな女の子に育ちました!
小学校時代
合唱クラブに入ってからというもの、新しい楽譜、知らない音符、ハモリの心地よさ、体幹トレーニング、など自分の中で新しい体験が増えていくに従って、毎日の充実感がすごくありました。
音楽ってこんなに楽しいんだな…!と。
そして合唱クラブで見た友達のピアノ演奏を見て、
あれだ!あれやりたい!私ピアノやる!
とお母さんに必死にお願い。
しかしピアノを始めるもなかなかの苦戦…。
でもちゃっかり歌のコンクールとかには参加しちゃってました✌︎('ω'✌︎ )
中学校時代
合唱大好きになった私は、初めての部活動は絶対に合唱部!と意気込んでいました。
しかし友達に誘われ吹奏楽部を見に行った時、あの楽器との運命の出会いがあったのです…!!
体験の時、私の耳を虜にしたのは、先輩が演奏していたオーボエの音。
今までで聴いたことない、穏やかで優しい音色でした。
皆さんオーボエって知っていますか?なかなかマイナーで知られてないんですよね。
その時オーボエ体験希望者は全くおらず...。
実はギネスにも"世界一難しい木管楽器"として登録されるくらい難しいそのオーボエ、初心者はなかなか音を出すのが難しいんですが、なんと1発で音が出たんです!
先輩にベタ褒めされ、調子に乗った私は楽器体験ができる3日間、ずっと通いつめてましたね。(そこですでに音階を覚えた 笑)
そのまま脇目も振らずオーボエ一直線のれい少年。
日に日に吹けるようになるのが楽しくて、部活のために学校はあるのか!と思ってました。
そんな中1の秋、当時3年生だった先輩が夏のコンクールを最後に引退してから、顧問にありとあらゆる曲でソロを任されるという、鬼畜の極み。
さらに近隣の中学校との合同練習会で、他校の顧問に
「お前の音はクソみてえな音だな」と言われ…始めて1年の初心者に…酷くない…?
でも幼稚園の頃あんなに男勝りだった私ですからね、
はあ?ふざけんじゃねえぞ?
と練習に熱が入ります( ^∀^)私を怒らせたね?
今考えると、そんなことがあったから1年でグンと上達したのかもしれません。
そこから1年経ち、3年生で初めて自分の楽器を手に入れます。
オーボエってすごく高いんですよ…購入してくれた母には本当に感謝です。
自分専用の楽器なのでものすごく吹きやすく、みるみる上達しました。
そんな時、友達に誘われて、地元のジュニアオーケストラに入団します。
しかし初めて演奏するクラシック音楽。めちゃくちゃ難しい。
変な音楽記号。楽譜によって、表記が地味に変わる音符。
曲合わせの時、何度思考停止に陥ったことか。
入団して初の演奏会、私は今までに感じたことのない高揚感に襲われました。
それが、スタンディングオベーション。
演奏が終わり拍手喝采の中、鳥肌と、急にグワッと出てくる涙。
あの体験は今でも忘れません。
それから私はクラシック音楽にのめり込んでいくのです。
高校生時代
中学卒業を迎え、私はコンクールで声をかけられて、吹奏楽が強い私立高校に入学します。
そこで出会ったのが、この二人の先輩。
W先輩(高3):口数少なめのオーボエガール。れいの憧れ。
ストイックで、練習を1人で黙々とやるタイプ。
喋ると面白いのに、心を許した相手以外にはあまり話さない。
A先輩(高2):後輩とも壁を作らず話してくれるファゴットガール。
いつも下痢してるお腹弱めな先輩。
そんな2人の先輩に追いつきたいと毎日奮闘していました。
そして1年の冬、先輩たちと3人で挑んだアンサンブルコンテスト。
県大会の上位6位までが東北大会に進めるのですが、私たちは僅かな点差で惜しくも7位。めちゃくちゃ悔しかったです。
でも先輩たちと練習した経験は本当に私の糧になりました。
そして大好きだったW先輩が引退したあと後輩指導に勤しんでいる私に、演出係担当の命が下されたのです...!
説明しよう! 演出係とは、演奏会の構成やどのような曲にするか、さらには曲に合わせた演出を考えるなど、吹奏楽部にとって無くてはならない役割なのである!
そんな重要や役割に不安を感じながらも、とりあえずやってみよう精神でこなして行くうちに、
なんだ、演出係って楽しいじゃないか!
不安が楽しさに早変わり!
小さい頃から妄想気質だった私は、曲から情景や照明の色を考えることが
楽しくて仕方なかったのです。
なんでもやってみるもんですね!
それからというもの、
バンドを結成してボーカルを受け持ったり、年に1回やる高校の音楽鑑賞会でプロのギタリスト・ピアニストと共演したり、
楽器を演奏するだけではない音楽の楽しさに、ますますのめり込んでいくれい少年。
『大学でも音楽をやりたい!もっと深めたい!』
そう思うようになりました。
大学生時代
音楽(オーボエ)を専門的に学びたいと思い、関東の昭和音大や東京音大を目指していたのですが、有名音大では学費の面で奨学金などを使ってもかなり厳しく、県内の音楽科がある大学に進学します。
音楽心理学や音楽史など、音楽に関する授業はもちろん、初めて専門的にオーボエを学びます。
個人レッスンの先生がオーボエを日本に広めた方のお弟子さんだった人で、先生から教わった今までの吹き方の間違いや知識の少なさに驚愕。
レッスンでは新たな発見を毎日のようにし、頻繁に行われる幼稚園や施設での演奏会に参加。
オーボエという珍しい楽器だったので、よく駆り出されたのです。
私はそんな毎日音楽だらけの大学生活にとても幸せを感じていました。
音楽だけだった私が今の仕事を選んだわけ
ここまで読んでくださった皆様、
きっと音楽関係の道に進むんだろうな!
そう思った方が多いのではないでしょうか。
私は実際に周りからたくさん言われてきました。
しかし今、仕事で音楽には全く触れておらず、
趣味として音楽を楽しんでいます。
それは、専門的に学べた大学生活でこんなことに気が付いたからです。
小中高での音楽生活と、大学での音楽生活、決定的に違うことが一つあります。
それは強制力があるかどうか。
小中高の学校生活で私はずっと音楽を続けていました。
なぜそこまで続いたかというと、自分からやりたいと思う事と楽しいと思う気持ちがあったからです。
もっと上手くなりたい、もっと経験してみたい、もっと楽しみたい。
心の底からのその気持ちが、私を前へ前へと押していったのです。
大学で講師達は、なんとか音楽の道に行かせてあげたい!と駆り立てるように私に音楽を教えてくれていました。
しかし強制的に練習をやらされているという感覚になってしまった。
先生に言われるから練習をする、クラシックを聴く。
子供の時、親に言われるからいやいや宿題をするっていうのと同じ感じです。
先生というフィルターを通して音楽を見てしまっていたんです。
もちろん同じ音楽科の友達の中の何人かは、もっと学びたいと言って進学を決める子もいました。
なので必ずしも私のような気持ちになってしまうとは言えません。
だけど、私のような、
自分には音楽しかない、
ずっと音楽をやってきたのに勿体無い、
音楽を専門的に学んできたんだからその道に行かなきゃ、と
思っている人に伝えたい!
今まで音楽しかやってこなくたって、違う職に就いたっていいじゃないか!!今自分が本当にやりたいことをやろう!!
そのまま音楽の道に進む人へ
そのまま何にも誰にも縛られず、音楽を楽しもう!!
最後に
ここまで読んでくださってありがとうございます。
めちゃくちゃ長くなってしまった…。
少しでも伝わってたらいいな。
ではまた次の記事でお会いしましょう!
ばーい!